【嫌われる勇気】承認欲求って…クソなのか?

皆さんこんにちは、ミケマイクです。
今日はタイトルにもある通り、「嫌われる勇気」で述べられている承認欲求は必要ない。ということについて書いていきたいと思います。

承認欲求は無意味と説いた一冊の本


私は、昨年から読書の楽しさを知り、月5冊くらいですが本を読むようになりました。その中で衝撃を受けた一冊の本”嫌われる勇気”に出会いました。


私はこの本の評価が異常に高かったのと、タイトルに魅せられて読み始めました。


その中にこんな一説があります

他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。

嫌われる勇気 ー 岸見一郎、古賀史健

ここ読んだ時、衝撃が走りました。

まず、承認欲求とは


承認欲求って、他者から認められることによって自分の存在価値を実感したり生きているんだという心地を与えてくれるもの。


SNSなんか承認欲求の代名詞で、みんな自分のツイート・投稿にいいね👍が付いたら嬉しいですし正直SNSなんてそのためにやっているようなもんじゃないですか。。。


今までの人生で承認欲求が満たされるのが気持ちいいことは知ってましたけどそれがいいのか悪いのかって…確かに考えたことなかったなあと。

でもやっぱり承認欲求は無意味みたい


最初は「うーん、」って気持ちで読んでたけれど、本を読み進めるにつれて、納得せざるを得なくなってきた。


なぜかって、理由はこう

  1. 自分を押し殺して、他者の希望を満たす為に生きてしまう
  2. 他者に認められても認められなくても、自分の生きたいように生きるべき


一つ目の、他者の希望を満たすために生きてしまうというのはその通りですよね。

例えば、自分は大学進学せずに海外留学をしたいと思っていても、親が大学に行って欲しいと思っているからとりあえず大学進学する。みたいな。


それって、親の希望に沿って、親が喜ぶと思ってした事で最終的に自分のしたいことはできていないし、結果的に留学できなかった後悔とかって被るのは本人ですよね。言い訳するのは簡単だけど、その後の夢が途絶えた責任さえも全部結局本人で、本当にいいとこひとつもなし。


だったら無理言ってでも自分の意見押し通して、失敗した自分で責任取りたいよね。


二つ目の他者に認められても認められなくても、自分の生きたいように生きるべきってゆうのは、本の中ではこんな感じで紹介されてた。


良いことしたら褒めてもらえて(賞)、悪い事をしたら怒られる(罰)ってゆう考え方は、誰かに見られているって事が前提の行動原則。じゃあ誰にも見られなかったら良い事はしないし、悪い事をするの?


まあ、、確かにその考え方に落とし穴はある。


この本を読んでたら、SNSとかでも投稿にいいねが多ければ嬉しいし、いっぱい来ると思って来なかったらちょっと気分下がってしまう事がバカバカしく思えてきた。笑


とりあえず今回は承認欲求にフォーカスして書いてみたので、またの機会に違った視点からもこの本の考察をしたいなと思います。よければ下のリンクから読んでみてください!マジでお勧めします。

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では〜〜〜〜

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